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こおろぎ
木造の四軒長屋に住むようになって、2年が過ぎた。
いつ頃建てられたものか定かではないこの家は、畳一面に青カビがはえていた。
漆喰壁が崩れたためにはられた、褐色の化粧合板は、こするとベージュ色をしていた。
ガラス窓にふきつけた白い泡は、ふきつけるそばから茶色になった。
家の改装。いつの間にかふえていた荷物。
長く落ちついていたマンションからの引越しは、やらなくてはならないことが多かった。
家の1階の床がはられ、壁が白く塗り終わったのは、マンションの明渡し期日だった。
積まれたダンボールをながめ、部屋のまんなかに置かれた白いソファによこたわる。
裸電球のオレンジ色の光に目をとじると、空気が身体にのしかかった。
おもいがけない大きな音が、ゆっくりと耳にとどいた。
目をあけることなく、その音が、耳にとどくままにしていた。
こおろぎの羽音とわかるまで、しばらくかかった。
こおろぎ。
言葉がうかぶと、とじた瞼に、夏の陽射しの白さと熱さが思い出された。
激しくおこること、声をたてて笑うこと。深くかなしむこと、強く望むこと。
感情のゆれの生じることを避けようとつとめていたためか、
夏休みはあけはなった窓のもと、一人ねころんで本を読むことが多かった。
疲れると、瞼に陽射しをうけながら、耳にとどくままに、音を聴いた。
言葉にするならばそれは、エンジン音や小鳥の声、隣家のステレオや兄弟げんか、
そんな類の音であったように思う。
それにしても、随分と音が近い。多分流しの下だろう。
横は広い空き地で、たくさんの仲間もいるというのに、なぜ迷いこんできたものか。
目をとじたまま、頭をすこし動かす。ソファの軋みに、羽音がやむ。
なんどか羽音と遊んだあと、
羽音がやんだ空間から、さまざまな音が、耳にとどいた。
子どもの頃の夏休みのように私は、とどくままに、音を聴いた。
こおろぎの羽音は、空き地が静かになっても、しばらくの間響いていた。
その空き地に、昨日測量の車がはいった。
肩まで伸びたセイタカアワダチソウが、背丈に届くことはなかった。
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